2011/11/13

なぜ日本の学生がイスラエル・パレスチナ問題?

こんにちは。サポートメンバー兼学術の高井です。

今回は日本の学生がなぜイスラエル・パレスチナ問題を扱うのかについて書かせていただきます。


当団体の運営委員に参加した私に、友達がこんなことを言いました。

「日本にも若年雇用や格差、マイノリティへの差別といった諸問題があるのに、どうしてパレスチナ問題なの?」

当団体で活動する上で、この言葉がいつも頭の片隅にありました。
国際問題に関わる自分はちょっとかっこいいと、どこかで思っていた私。
痛烈な言葉でした。

「日本で得られないもの」「日常で得られないもの」を勝手に海外や紛争地、災害地に設定して、予定調和で「成長」する。
それは「行動力のある学生」が陥りがちな罠だと思います。
本当は日常にこそ学ばなければいけない事であふれている。
そのことを直視できないから、イスラエル・パレスチナ問題なのだろうか。
「それは違う!」「でも他人を納得させるような結果を残せていない」
葛藤につぐ葛藤でした。
なぜ日本でイスラエル・パレスチナ問題か。答えの一つを、イスラエル人、パレスチナ人参加者の口から聞くことができました。
「日本で開催することにこそ意義がる」という点で意見が一致したのです。
イスラエル・パレスチナ問題はあまりにも繊細なトピック。
イスラエル国内で議論するには「有言・無言の圧力」が強すぎると。
そのようなしがらみから離れ、本音で対話するためには日本のような場が必要であるというある参加者の発言に、みなが同意しました。

もう1点。
平和構築とは「共通項」を見つける事。
対立勢力の共通項をもって互いの存在を認めていく作業。
それは必ず内部の人間の手で担われなければいけなりません。
あくまでムーブメントの中で、共通項を広げていくしかないのです。
でもその共通項は、内部の人間にはなかなか見えにくく、むしろ外部の人間にこそ見えやすいものでした。
この点については次回以降詳しくふれていこうと思います。

8月の会議をふり返り、自分なりにつかんだ答えが以上の2点です。
友人を納得させることはできるでしょうか。(高井純一郎)

0 件のコメント:

コメントを投稿